〜“サッカー好き”が集い、結成されたその部は、
アマチュア日本一を目指す闘う集団と化した〜
ホンダロックサッカー部(以降 ホンダロックSC)は、会社設立2年後の1964年に創部され1999年までの35年間、我が社の黒潮会(親睦団体)に所属する部として活動を行なってきた。この間の活動は、地域リーグや県リーグがその活動範囲であり、その他の同好会やクラブ活動との差はほとんどなかった。35年間の永続は、サッカーをこよなく愛した先輩諸氏が継承してきたものであり、一言で言い表すと『サッカーが好き』という言葉に収斂されている。
1996年宮崎県サッカーリーグを制覇し、1997年には九州リーグ(以降Kyuリーグ)昇格を果たした。このようにホンダロックSCも幾多の歴史を積み重ね、1999年からは会社の公式クラブとして、より強力なバックアップを受けることになった。
創部40年の節目となる2004年に悲願のKyuリーグ初制覇を達成し、続く全国地域リーグ決勝大会で3位となり日本フットボールリーグ(以降JFL)に昇格するも、2006年にはJFL16位となり、地域リーグとの入替戦の末、Kyuリーグに降格した。最短でJFLに復帰することを目指して戦った2007年は、Kyuリーグ2位に位置し、続く全国地域リーグ決勝大会には出場するも決勝ラウンド進出には及ばず、1年でのJFL復帰はならなかった。
翌2008年のKyuリーグは過去に類を見ない程の混戦の結果、最終順位は3位に終わり、地域リーグ決勝大会の出場権を逸する結果となった。しかしながら、全国社会人サッカー選手権大会で3位につけ、地域リーグ決勝大会への出場権を獲得。なみいる強豪チームを相手にした激戦の末に、決勝ラウンドでは3位の成績を収めることができた。このように、長く厳しい闘いが実を結び、ホンダロックSCのエンブレムにある「不死鳥」の如く、2009年シーズンからのJFL復帰が決定した。
JFL復帰1年目は、チームスローガンを「Run as a team toward the win」と掲げて、全員で走りそして守った結果 リーグ13位・勝点40となり、目標であった「15位以内・勝点32以上」を上回る結果を出すことができた。また、第89回天皇杯においては、創部45年目にして初めてJチーム(2回戦vs東京ヴェルディ)に勝利し、新たな歴史を刻むことができた。
JFL復帰2年目となる2010年シーズンは、チームスローガンを「EVOLUTION HLSC」と掲げチーム・個人の進化を図った結果、リーグ13位・勝点42となった。目標の「10位以内」には届かなかったものの最大の目的である「JFL定着」を達成することができた。
2011年シーズンは、チームスローガンを「共感 ~共に感じ 共に感動を~」と掲げ、クオリティーの高い守備意識をベースに、攻守にわたりチーム一丸となって戦った結果、リーグ8位・勝ち点47となり過去最高順位でリーグを終える事ができた。また、第91回天皇杯にJFLシード枠で出場という快挙を成し遂げた。
2012年シーズンは、チームスローガンを「One Step」と掲げ、昨年のリーグ8位以上を目指し、チーム全体、個々の能力のレベルアップを図った。しかし、思う結果を残すことができず、リーグ16位で終了した。
2013年シーズンは、チームスローガンを「結心」と掲げ、リーグ20勝を目標に掲げ挑んだが、6勝11分け17敗で18位となった。
2014年シーズンは、チームスローガンをDesafio!(デザフィーオ)と掲げ全員が同じ気持ち・同じ方向を向いて結果を求め挑戦し、リーグ通算10位の成績を収める。第18回宮日旗・NHK宮崎県サッカー選手権大会において優勝。第94回天皇杯では初戦を突破し2回戦でJ1の横浜F・マリノスと対戦するも敗れる。また長崎がんばらんば国体2014において、ホンダロックより5名を派遣し県勢として35年ぶりの優勝を果たした。
2015年シーズンは「GOAL一途」と掲げ、攻撃の形を選手同士が理解し、狙いをもった攻撃を追及。結果、リーグ通算9位の成績を収める。また国体では昨年に引き続き6名の選手を派遣し、大会2連覇の偉業をなしとげる。
2016年シーズンは『「気」気持ちを一つに前へ』をスローガンに掲げ、シーズン通じて気迫溢れる戦いぶりで、創部以来最高となる通算JFL4位の成績を収める。天皇杯では2年ぶりに宮崎県No.1の座を奪還し県代表として出場。国体では昨年に引き続き、6名の選手を派遣し5位の成績を収めた。
2017年シーズンは「1 ONE さあ、共に目指し、共に捕りに行こう!!」をスローガンに掲げ、JFL優勝を目標に挑んだが、シーズンを通し怪我人が多く苦戦を強いられた。シーズン後半に巻き返しを図り、JFL通算8位の成績を収めた。また国体では九州予選に2名の選手を派遣し本国体出場に貢献した。
2018年シーズンは「誇り」をスローガンに掲げ、JFL5位以内を目標に挑んだが、大量失点や連敗の影響もあり、勝ち点を積み上げることができず通算14位で終了。また国体では4名の選手を派遣し、大会3位の成績を収めた。
2019年シーズンも「誇り」をスローガンに掲げ、JFL5位以内を目標に挑み、シーズン終盤で勝ち点3を逃し6位で終了。第99回天皇杯では3年ぶりに宮崎県No.1の座を奪還し県代表として出場。2回戦でジュビロ磐田と対戦するも破れた。国体では選手4名とスタッフ1名を派遣したが、代表権獲得には至らなかった。
2020年シーズンも「誇り」をスローガンに掲げ、JFL4位以内を目標に挑んだ。開幕を前にコロナ禍でシーズンが半分の1回戦総当たり方式へ変更となった。アウェイ戦では負けなしだったが、ホーム戦で勝利ゼロの12位で終了。
2021年シーズンは「企業戦士」をスローガンに掲げ、JFL4位以内を目標に挑んだが16位で終了。入替戦にまわり3-2の辛勝でJFLを残留を決めた。第101回天皇杯では2年ぶりに宮崎県代表として出場。2回戦で大分トリニータと対戦するも延長戦の末2-3で敗れた。国体では九州予選に選手4名とスタッフ1名を派遣したが、代表権獲得には至らなかった。
今後も、ホンダロックSCは他の従業員と同様に業務をこなしながら、定時後に集中した練習を重ね「アマチュアスポーツ(サッカー)で日本一」を目指して闘い続ける。